弥生文化のはじまり
弥生文化は、大陸から九州北部に渡来した人々によって
稲作と金属器の優れた技術が伝えれたことにより成立していきました。
水稲耕作を主な生業とし、青銅器や鉄器、弥生土器を使うことが特色です。
これにより、列島にも農耕社会が成立します。
しかし、稲作によって食料に余剰が生まれると
貧富の差や身分の区別がおこるようになりました。
しだいに権力をもつものが現れ、対立や抗争が生じると
防衛のために豪や土塁で囲まれた環濠集落や、丘陵の上に高地性集落がつくられ
弓矢も狩猟具から武器へと変化していきました。
愛知県では、濃尾平野低地部で墳丘墓が造られます。(清須市廻間遺跡)
参考文献
愛知県史編さん委員会『愛知県史 通史編1』愛知県(2016)
東京書籍『新選日本史B』尾藤正英ほか(2011)
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