2019.09.02 07:36ヒトの痕跡が明確になった約3万年前愛知県では、3万年前頃から瀬戸市上品野遺跡で環境におけるヒトの活動の痕跡が明確になってきました。その後、気候の温暖化により海水面が上昇しはじめます。1万年前(縄文草創期)には、丸ミノ型石斧や有舌尖頭器が使われ、隆起線文土器が作られるようになります。これらは、豊田市酒呑ジュリンナ遺跡、瀬戸市品野西遺跡から出土されいます。3000年前(縄文後期・晩期)には、県域に数多くの貝塚が作られるようになります。...
2019.09.01 03:59弥生文化のはじまり弥生文化は、大陸から九州北部に渡来した人々によって稲作と金属器の優れた技術が伝えれたことにより成立していきました。水稲耕作を主な生業とし、青銅器や鉄器、弥生土器を使うことが特色です。これにより、列島にも農耕社会が成立します。しかし、稲作によって食料に余剰が生まれると貧富の差や身分の区別がおこるようになりました。しだいに権力をもつものが現れ、対立や抗争が生じると防衛のために豪や土塁で囲まれた環濠集落...
2019.09.01 02:55愛知県の前方後円墳魏の歴史書「魏志倭人伝」によると魏の皇帝が邪馬台国の王 卑弥呼に239年、「親魏倭王」の称号と金印銅鏡百枚を下賜したとする記述があり、その権威を背景に卑弥呼は国内を治めました。3世紀後半ごろ、各地に大きな墳丘をもった古墳が出現し4世紀後半頃には、九州南部から東北地方南部におよび、多くは前方後円墳で、墳丘の表面には葺石がしかれ、埴輪がめぐらされていた。愛知県では、西尾市正法寺古墳、豊川市船山1号墳、...